年金情報流出の件などもあり、

にわかにマイナンバー制度が注目されています。

相続実務に関係してくるとも言われていますが、

ここではマイナンバー制度より以前の制度に触れてみます。

 

我が国における番号制度の検討は、1960年代後半(昭和40年頃)から

「国民総背番号制度」が最初だと言われています。

折からのコンピューター化の進展に伴い、各省庁、各手続きごとにばらばらに付番、管理されていたコードを統一化し、行政の効率化を図ることを目的に検討されたものです。

その中では、1971年(昭和46年)末までに全国民に個人コードを付番し、1975年(昭和50年)に全面実施することが計画されていました。

しかしながら、国家による個人のプライバシー侵害をおそれる国民の強い拒否反応があり、両道組合の判合理化闘争(郵便番号反対など)、70年安保闘争の影響などもあり、実施することはありませんでした。

次に、番号制度が検討されたのは1980年(昭和55年)3月に国会で成立した「グリーン・カード(少額貯蓄等利用者カード)制度」。

当時、貯蓄推進等を目的として、全ての人が利用できる元本300万円までの預貯金の利子が非課税となる「マル優」制度がありました。

しかし、その取扱があまりにもずさんで、300万円の限度額を無視して「仮名口座」、他人名義口座を使って、一人で多くのマル優口座を開設する不正が横行していました。

その結果多くの預貯金が課税されていない状態だったのです。これに対処するため、マル優口座利用者には「グリーン・カード」の取得を義務づけ、そのカードの番号で各口座の名寄せをすれば、本人名義でない仮名口座があぶり出され不正なマル優の利用を防ぐことが可能になると考えられたのです。

国税庁はこのために大規模なコンピュータセンターを建設したのですが、
1984年(昭和59年)1月からの導入計画は延期され、翌年には、グリーン・カード制度は実施されないまま廃止となりました。

制度開始前に仮名口座から大量の預貯金が流出し、無記名の債権や金などに形を変えたため、金融機関や郵便局長会などが激しく反対し、郵政族議員などが中心となって廃止の議員立法が提出され、国民の多くもそれに同調したため制度廃止が国会で決定されたからです。

2003年(平成15年)に日本で最初の全国的番号制度として「住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)」が全面稼働しました。

これは行政サービスの向上と行政事務の合理化を目的として、住民一人ひとりに特定の番号(住民票コード)を付して、本人確認を容易にしようとするものです。

実際に行政のIT化に対応して「住基カード(住民基本台帳カード)」も交付され、一部では使用されるようになりました。

しかしながら、前述のような国民総背番号制度への反発、グリーン・カードの失敗などから、住民票コードはさまざまな妥協の産物となり、住民票コードを利用する場面は極めて限定されてしまい、実際に広く社会で使われる番号制度にはなりませんでした。

このようにこれまでも同じような制度を導入しようとしては中止や中途半端な状況となってしまっています。

今回のマイナンバー制度はスムーズに行き、

国民の利便性向上に寄与してもらいたいものですね。

 

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